さっき行ったスーパーにお一人様1パックまでとかかれて残り少なくなっていたあの卵がそこにふんぞり返っている。まてまてまて、卵に躓いてこけるとか俺どんなけ運動不足やねん。いや、今一番つっこむべきポイントはそこではない。問題はそいつが全長約1メートルほどにも及んでいる事だ。
「ぁ?」
もう何て言ったらいいのかわかんない。コレ何の卵だ、ダチョウ?でもこんなに大きくねぇ。っていうか俺こんなデカいのに気付かなかったの?いくら物思いに耽ってたとはいえそれは……いやありえるか?とりあえず落ち着け、よしまずは中断された自己紹介を
──ピシィッ。ピシピシ……
「なっ!?」
パニックからなかなか抜け出せないでいる俺の目の前で、卵の腹に亀裂が入っていく。何かが生まれようとしている。まずい、これは非常にまずい。相手がダチョウの雛とかならまだしも恐竜とかエイリアンだった場合、所持アイテムがジャガイモと納豆パックだけというのはあまりにも不利である。仮に俺が勇者になる運命を背負った者だとして、そんなに長くない人生で溜め込んできた経験値では勝てる見込みなど無きに等しい。俺の人生は何処でセーブされたのだろう。
いきなり目の前に現れた非常識に常識が翻弄されている間に、ついに卵の亀裂が一周したらしい。楕円のボディが弾けるように二分割された。
一瞬、満面の笑みを浮かべた女の子が見えた気がした。
「ぐはぁ!?」
中から飛び出してきた何かに反応する間もなく、現実逃避し始めていた俺の身体は衝撃だけを認識して後方に吹き飛んだ。意識やあらゆる覚悟やついでにちょっとアレな妄想などが置き去りにされ、走馬灯が勢いよくメリーゴーランドする。
「よかった!誰も来てくれないかと思いました!」
改めて死を覚悟した俺の身体に巻きついたままのそいつは、噛み付いたり殺人ビームを出す事もなく、妙に可愛らしい声で歓喜の声を上げた。
「ごめんなさいごめんなさい生まれてきてごめんなさ……ぇ、は?」
人生の懺悔を中断して恐る恐る目を開くと、仰向けに倒れた俺の身体の上にいたのは、角も、牙も、羽も無い。普通の、強いて言えば小柄な女の子だった。金髪に碧眼、どう見ても日本人ではない。
「ああいきゃんのっとすぴーく英語っ!いんぐりっしゅ!」
「……はい?」
まだ混乱から回復しきれていない頭で思い出せる限りの咄嗟の英語を喋ると、その子は不思議そうに俺を見た。
「えーと?」
「あーだから俺英語は……あれ、日本語?」
「ですです、私もあまり英語は得意じゃなくて」
バツの悪そうに言うその言葉はやはり聞きなれた日本語だった。
「あ、うん。き、君は?」
「はい。私は天使の卵で、名前は……への……えーっと……」
数秒の間が開き、人差し指を左右の米神に突きつけて唸り出してしまった。
ようやっと落ち着いてきたので改めて女の子を見る。簡単に言えば小動物系の可愛い子だ。中学生ぐらいに見える。さらさらと風にそよぐ金と銀が混じったような……プラチナブロンドだっけか。そんな髪と何かの宝石を思わせるような透き通った碧の双眼が印象的。華奢な身体を見覚えのない制服が包んでいた。卵から生まれてきた子は素っ裸という十数年掛けて編み出した俺の方程式は簡単に崩れ去ってしまった。
いやそんな事はどうでもいい。一先ず女の子を俺の上から下ろして立ち上がり、なるべく同様を見せないように咳払いをして自分を落ち着かせる。そして今聞きたいものの内の一つを取って聞いてみることにする。
「それで、えーと……卵?」
「はい、天使の卵です」
元気良く肯定されてしまった。そしてさっきからちらほら聞こえる天使というワードがあまり良い展開を予感させない。
「ぁー、そうじゃなくて。いや、そっちも気になるけど。まずはあっち、アレ」
女の子の肩越しに見えるぱっくりと口を開けた巨大卵を指差す。もう何も入っている様子は無い……よな?
「ぁ、はい。卵ですね」
「ぁ、うん」
なんだろう、なんだろうこの流れ。もしかしてああいうのは結構その辺に転がってるものなのか?……考えると頭が痛くなりそうだったのでこの件は一度保留にしてそのまま触れないでおこうか。
「それで、天使って?」
「はい、天使です。あぁ、いえ、まだ天使じゃなくって卵なんですけど」
そういって恥ずかしそうに笑っている。
うん。いやまぁ可愛いんだけど、目の前に広がるクエスチョンマークが1つも消えようとしない。むしろ増えた気さえする。
「そうかー天使かー」
「はい、天使ですー」
「アハハハハ」
「あはははは」
ほんわかな雰囲気に包まれる事20秒程。
「って納得できるかぁーーーーーーーー!!」
「きゃあ!?」
エアギター、もといエアちゃぶ台がくるくると宙を舞い、女の子が先輩に苛められたバレー部員みたいによよよと泣き崩れた。
迫真の突っ込みを入れてちょっとすっきりしたところで簡単な解決方法に出ようと思う。
「とりあえず、俺帰ってもいいかな?」
「嫌ですっ!!」
体当たりするように抱きついてくるへのなんとかさん。あぁ、なんかこういう場面を一度は夢見ていた。でも贅沢を言うなら俺がこうして欲しいのはちゃんとした手順で親しくなった子であり、突然卵から孵った見知らぬ子ではない。……今俺鼻の下が伸びてないかな。
「もう独りは嫌です!」
ぎゅー。
力いっぱい抱きしめられる。なんか「萌え」とか言う単語がブラクラよろしく頭を埋め尽くされそうになる。落ち着け俺、F4キーを探すんだ。
「ぇ、か、家族とかは?」
「ッ!……いません」
一瞬、表情が強張った。まずい事を聞いてしまっただろうか。
「ぁ、えーと……っくしゅい!」
慌てて取り繕おうとした時、思い出したかのようにふいた冷たい風に煽られて大きくくしゃみをしてしまった。
「だ、大丈夫ですか?」
「と、とりあえず寒いし。帰ろうか……」
ぎゅー。
「君も自分の家に……」
ぎゅー。
「帰……」
ぎゅーーー。
「わかった、とりあえず俺ん家で話は聞くから……その、離してくれ」
「はい」
しぶしぶといった感じで身体を離す。相変わらず手は服の裾を掴んだままだけど、まぁいいか。
自称天使っ子と仲良く手を繋いで、待つ者のいない自宅へと歩を進めたのが十数分前の事。
で、俺の家。
四畳半のボロアパート。コレだけ言えば解るな?一人暮らしでバイトもせず、親からの仕送りだけで生きてるもんであまり贅沢のきかない生活なのだ。いや、湯の出る風呂とテレビがあるだけ贅沢だな。……えぇい、俺の寒い経済状況などどうでもいいのだ。その寒い部屋の中、円卓を挟んで二人の男女が向かい合っている。甘酸っぱい空気とは程遠い、万引きが捕まった事務所裏みたいな感じであるのが非常に残念である。
「それじゃあ改めて、俺の名前は眞田福大(さなだ ふくひろ)。君の名前は?」
「福大さん、私はへの10424753573……14054532377だったかな?」
「ぇ、な、何だって?」
「多分ー、14054532377で合ってると思うのですがー……」
これもカルチャーショックに含まれるのだろうか。今外国ではこういう名前が流行ってるのか?
「じ、じゃあヘノって呼んでもいいかな。どうも俺には覚えられなさそうだ」
自慢じゃないが数字三桁以上の暗記は期待できない。外せなくなった自転車のチェーンとかが頭を過ぎっていく。何だか目頭が熱くなってきたのでこの記憶は永久に封印しておくとしよう。
「はい。私も覚えきれなくて、えへへ」
この照れ笑いが妙に可愛いのだが自分の名前を覚えきれないというのもどうだろう。将来生まれてくるかもしれない我が子には間違っても10文字を超える数字の名前は付けないようにしようと心に刻み、次の疑問に移っていく。
「あー、じゃあ君の家はどの辺だ?住所とかわかる?」
「えっとですね……」
ヘノの細っこい指が天井を指差した。
「ぁ、上の階の子?」
「も、もーちょっと上です」
「ここ2階建てだし……屋根裏?」
「もう少しっ」
「もう屋根の上しかないぞ?」
「もーっと上です」
もーっと上。頭の中に広がる画用紙にはクレヨンで大空が描かれている。おっと雲も足さねば。
「えーっと、何処?」
「あうあう。あの、えーと……空の上、なんです」
まぁそんな感じでかなりぐだぐだした応答になってしまったが、ヘノの言い分を纏めるとこんな感じだ。長いから読み飛ばしてもいいんだぜ?
まず、ヘノは天上界に住む天使の卵、つまり天使見習いであり。今は天使になるための昇級試験を受けているらしい。(天上界ってのは空の国みたいなもんだとか。)
その試験の合格条件は二つ。天使を孵化させられる人間と出会える事、そして何かしらの奇跡を起こす事。これらは天使の素質があれば自然とクリアできるものなのだそうだ。見事合格した場合には孵化させてもらった人間に一つだけ、天使が持つ奇跡の力を用いて礼をする事が許されているのだとか。
落第者は人間として生きるか、卵に戻ってもう一度試験を受けるかを選ぶ事が出来る。ただし受験は三回まで。途中棄権や落第を繰り返して人間として生きる事になった場合、天使に関連する全ての記憶は抹消される。
ちなみに人間側にも卵を孵化させられる資格みたいなのがあるらしく、一定水準以上他者を幸せにしている者、他者の幸せを心から望む者が天使の卵を割れるのだそうだ。光栄だね。
此処まで読んだ君と俺の感想は大体一緒だろう。
「なるほど、全然わからん」
「がびん!?」
「口で言ったよ!?」
ちょっと頭が痛くなってきた。勿論鵜呑みにした訳じゃない。が、この子を帰すには言い分を聞いて満足してもらうのが一番早そうだ。なんかそんな意志が見え隠れしている。
「それで、その奇跡を起こさないと合格できないと」
「そうなんですよ」
「奇跡って言われてもなー……」
そもそも中々起こらないからこその奇跡なのだ。
「でもでも、期間は2010年の12月25日までありますし。なんとかなりますよ!」
「……は?」
「どうかしました?」
「ちょっと待て、お前が試験受けたのはいつだ?」
「2008年の1月頭です。」
「……。」
「……?」
「今、平成22年のイヴですよ?」
「……へ?」
ひっそりと壁に張り付けられたカレンダーを指さしてもう一度言う。
「2010年12月24日の午後9時14分だ!」
「へ……えええええ!?」
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